2012年 03月 11日
あの日
|
通院で点滴をしていました
あの日の午前中は病院へ行き
薬を飲むだけで大丈夫だと言われた日でした
それでも まだ体調が良いわけではなかったので
かわちゃんの幼稚園のお迎えは母に頼み
もう少しでお昼寝するだろう すいちゃんと
お布団の上でゴロゴロしていました
宮城県沖より大きな地震
長い
そして
ますます強くなっていく
少し前に起きた
ニュージーランドの地震が思い出されて
死ぬのかなと思いました
怖がるすいちゃんを抱きかかえながら
後ろを振り返ると
冷蔵庫が開いて中身が落ちていました
揺れが2段階くらい強くなった感覚があったのですが
途中で目の前に揺れるチェストが倒れそうになりました
チェストのひきだしも前にとびだすように
チェストの上にはテレビが乗っていたのだけれど
その引き出しが開いたところに
テレビがはまってしまい
当然その重みでチェストが前に倒れそうに
地震の後半は
すいちゃんとテレビの両方をかばいつつ
まだ揺れはおさまらないの?と待っていました
* * *
揺れが収まってみると
本が散乱、キッチンは牛乳などがこぼれていました
それでも、家具は何一つ倒れておらず
食器も無事だったのは奇跡
とにかくこのレベルなら
小学校に非難するのかな?と思い
近くで仕事をしていた夫や
かわちゃんと母が帰ってきた時に居場所がわかるように
みつけた茶色い紙袋に
「小学校にいます」と書いてテープで止め
すいちゃんを連れて小学校へ
マンションの下で母やかわちゃんと合流
二人は地下のスーパーのレジにいたそう
あわてて地上に出て
揺れが収まってからバスで帰ってきたそう
小学校の4回の窓ガラスは割れていましたが
あんな揺れにもかかわらず
建物って意外と残っているものなんだなぁというのが
最初の印象でした
途中でマキリさんも小学校へ来てくれて
コンビニで夕食を買い
家に戻りました
隣に住む母の自宅で
冷たい夕食
それでも情報が何もなかったので
少しキャンプ気分でした
東京に住む妹の切迫した様子を
理解できたのは
夫がガーミンで映像を見せてくれてからのこと
一週間はすぐに逃げられるよう
ジーパンをはいたまま眠りました
放射能と体調のため外に出られない日々
それでも買い出しに行くと
スーパーには
一生懸命届けてくださった商品が
ところどころ並んでいました
* * *
震災前までは
添加物に気をつけていましたが
さらに放射能にも気をつける日々
震災はまだ終わっていないというのが
私の今の気持ちです
それでも、振り返ってみると
なんと多くの方に助けられ
愛を届けてくださったことかと思います
遠くお会いしたこともない
このブログに遊びに来てくださっているみなさんにも
心配してくださっていたことを後に知り
本当に感謝の気持ちでいっぱいです
沿岸部の方から比べたら
全然大したことないのだけれど
正直なところ
気持ちが落ち着いてきたのは
今年になってからのような気がします
また明日から
おいしいパンを焼いて
みなさんのパンからも
元気をもらいに行きたいと思っています
ありがとうの気持ちを込めて♡
by breadsweetbread
| 2012-03-11 23:22
| いろいろ